当麻寺に行きたいなぁと、図書館で資料を探していたら、五木寛之さんの短編に行き当たりました。
征当変換したら、なかなかにいい感じだったので、すっかり変換してみました。
あまりにも単に変換した、ほぼ丸写し状態でありますのでサイトに上げるのがはばかられ(苦笑)
しかしやはり当麻寺目指して萌えを分かち合いたいのでこちらにこそっとおいておきます。
そんなものでも読みたい方だけ、どうぞ。
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「『たいまでら』へ行こう」
と、征士を誘ったのは俺の方だった。
「ああ」
俺のただ一人の兄弟、ひとつ歳上の兄の征士はいつものように、言葉少なにうなずいた。
そして、
「どこでも、お前の好きなところに連れていってくれ」
と、穏やかに微笑んだのだ。
征士と顔を合わせるのは、三年ぶりだった。
俺が九州から、この奈良県の郡山へ移り住んできて以来のことだ。
征士は九州から仕事の打ち合わせで大阪に来たのだ、と言っていた。
その途中、わざわざ時間を割いて、俺に会いに奈良へ立ち寄ってくれたのだ。
征士から電話がかかってきたのは、午前十時頃だっただろうか。
ちょうど名古屋へ出かけるという妻を西大寺の駅まで車で送り、遅めの出勤をしたところだった。
職場へ着くとすぐ、電話だと取り次がれたのだ。
あまりに突然のことで、俺はどぎまぎして、声が震えていたようだ。
「どうしたんだ? 征士。何かあったのか?」
俺の口調に征士は少々驚いたらしく、最初の九州弁をひっこめると、
「別に何もない。なぜだ?」
「だって……」
考えてみると、特にこれといってそんなに狼狽する理由はない。
でも、なぜか俺は胸の動悸が治まらなかった。
「どうしたんだよ、突然。今、どこからかけてるんだ?」
「法隆寺だ。国鉄の駅前からかけている」
「え?」
俺は思わず大声を出しかけ、後ろのデスクに座る後輩の方を振り返った。
後輩はこちらに背中を向けたまま、一心に原稿用紙にペンを走らせている。
夕刊の記事に、まだかかっているのだ。
「どうしてそんなところにいる。いったいお前、いつこっちに来たんだ。それに、なぜ前もって知らせない?」
俺はほとんど怒鳴り声になっていたような気がする。
懐かしさと、腹立たしさと、戸惑いの気持ちがごっちゃになって、ついとり乱してしまったのだ。
そんな俺を、征士は静かな口調でなだめるように、
「すまない。急に大阪までくることになったからな。少しでも会えればと思って、奈良まで足をのばしたのだ。忙しければ、出てこなくてもいい」
「何を言ってるんだ」
そんな水くさいことがよく言えたものだと、俺は唇を噛んだ。
五年前に親父が死んでからは、この世にたった二人の肉親なのだ。
一生、二人で暮らしていけるものなら、そうしたいと思っていたほど慕っていた兄だった。
しかし、俺が九州で征士と一緒に暮らす限り、兄である征士は恋愛も、結婚もせずに年を重ねてゆきそうな気配が感じられるのが、どうしても気がかりだったのだ。
大学で教授から紹介された話を受けて、九州育ちの俺が当時からつきあっていた妻の郷里、奈良県の大和郡山市の新聞社に就職したのは、そんな弟思いの兄が俺のことを気にせずに生きていってくれることを願ってのことだった。
征士は、俺を大学に入れるために高校を卒業してすぐに国鉄に入り、鳥栖の機関区に勤めていた。
小学校の頃にお袋を亡くした俺たち兄弟は、幼いときからいつも二人一緒に身体を寄せ合って暮らしてきたのだ。
しかし、俺たちは、いつかはそれぞれの生活を見つけて別れて生きて行かなければならない。
俺が九州を出て遠くに行ってしまわなければ、征士は一生、彼女も作らずに生きていきそうな予感がしたからだ。
俺が奈良で結婚することを知らせたとき、征士は黙っていた。
反対だとも、賛成だとも言わなかった。
やがて征士は仕事場の近くの町に下宿を見つけ、俺たちは初めて別々に暮らすようになった。
それから三年たった今日、突然、征士から電話がかかってきたのだ。
それも、車で走れば三十分もかからない法隆寺の駅前から。
それにしても、俺に会いにきたのならもっと近くの郡山の駅で降りればいいのに、と、俺は怪訝な気がした。
「今からすぐ迎えにいく」
俺は時計を見て言った。
「法隆寺の参道の辺りに喫茶店がある。そこへ入って待っていてくれないか」
「いや、迷うといけないから、ここで待っている。金がもったいないしな」
「寒くないか? 風邪をひくぞ」
「心配ない」
電話は向こうから切れた。
俺は取材に出ると嘘をつき、社の車に飛び乗った。
俺は近道を選んで富雄川を渡り、橙色の信号は全部突っ切って法隆寺駅の方向へ急いだ。
やがて左手に法起寺の塔が見え、続いて法輪寺と法隆寺が丘陵を背に見えてきた。
俺はいつもその道路をゆっくり走ることにしていた。
三つの寺が同時に眺められる場所を、そこしか知らなかったからだ。
しかし、今日だけはそんな余裕はなかった。
俺は先を行くトラックを追い越して、右折の信号を赤でパスした。
けたたましいクラクションを浴びせかけられながら、俺は走った。
一分でも、一秒でも早く兄の待っている駅前へ着きたかったのだ。
征士は駅前の広場に、ひとりで立っていた。
古びたレインコートを着て、帆布のザックを下げている。
踵のすり減ったスニーカーと、くたくたのジーンズが、見栄えの良い征士をみすぼらしく見せているようで残念な気持ちもしたし、野生的な征士に似つかわしいという気もした。
無精ひげを伸ばした顔が車から降りた俺を見つけて、白い歯を見せて笑った。
一緒に暮らしていたときには、休みの日であっても毎日きちんと剃刀でひげを剃り、無精ひげなど考えられない兄であったのに。
しかし、それさえもよく似合っていて、魅力的だと俺は思った。
「早かったな」
俺は近づいてきた兄に駆け寄り、その広い胸を拳で叩いた。
「何だよ。突然こんなところに現れたりしやがって。驚いて死にそうだぞ」
お前はいつも大げさだ、と征士は笑いながら、それでも、すまん、と、神妙な顔で頭を下げると、
「前もって知らせておくと、お前がいろいろと気を遣うと思ってな。できたら少し顔だけでも見られたらいい、と、それくらいの軽い気持ちでやって来たのだ」
「嬉しいよ」
俺は平静さをとりもどして、兄の顔を眺めた。
見目の良いのは、昔のままだ。
ひげがのびているせいか、やや頬がそげて、疲れたような感じがした。
「どうしてここで降りたんだ?」
俺は聞いた。
征士は少し照れたように、
「いや、もし当麻に連絡がつかなかったときは、法隆寺というものを一度見ておこうと思ったものだから。ほら、私たちは修学旅行も行かなかっただろう。やはり日本人としては、一生にいちど位はな」
「じゃあ、これから法隆寺にお参りするか」
「いや、当麻に会えただけで、もういいのだ。それに観光客で混むのであろう。この時間では」
俺は法隆寺は、早朝か夕方に訪れるのが好きだった。
空母のような大型観光バスが何十台も列をつくってひしめく日中は、取材でくるのならともかく、どうしても気持ちが落ち着かない。
「どこか静かな場所はないものか」
と、征士は独り言のように呟く。
「征士、時間は?」
「大阪から夜行に乗るつもりだ」
俺は少し考えた。
「やっぱり大和らしいところがいいよな。初めて来たんだから」
「ああ。それに、二度と来ることもないだろうしな」
「どうしてだよ」
俺は征士のそんな言いかたに、ちょっと引っかかるものを感じて言った。
「もう二度と、なんて、変な言いかただな。これからだって、いつだって来られるじゃないか」
「ああ」
征士はちょっと慌てたように、急に微笑を浮かべると、どこでもいいのだ、とつけ加えた。
「当麻と二人でゆっくり時間が過ごせる場所ならばな」
「『たいまでら』へ行こう」
俺はふと思いついて言った。
「中将姫の伝説で有名な寺だよ。俺の名前と同じ『当麻』と書いて『たいま』と読むんだ。あそこならきっと静かだ」
「当麻寺?」
「ああ。二上山のふもとの古い寺。征士。お前に見せたいものが、あそこにある」
「そうか」
どこへでもお前の好きなところへ行こう、と、征士はおだやかな口調で応じたのだ。
征士を車に乗せると、俺は国道を王寺の方角へ走りだした。
すぐ右手に法隆寺の参道の松並木と、南大門が現れる。
俺はちょうど赤信号で止まると、征士にそれを教えた。
「ほら、あれが法隆寺……」
「ああ、よかった。これで来た甲斐があった」
「またゆっくりな」
征士は黙ってうなずいただけだった。
竜田川を越えて左へ道なりにゆくと、やがて王寺の町だ。
そこを過ぎて西名阪道路の下をくぐり、香芝町の先からは狭い道路がつづく。
「驚いたな」
と、征士が道路脇の雑草の茂みを指さして言った。
「どこもかしこもセイタカアワダチソウだらけではないか。大和にもこんなにアワダチソウが進出しているとは思わなかった」
「そうなんだ。今、大和じゃススキとセイタカアワダチソウの死に物狂いの戦いがくりひろげられてる」
身の丈よりも高い黄色の花が、いたるところに群生している。
それが北米カナダ原産のアキノキリンソウの一種だということは、何かの本で読んだことがあった。
カナダでは<黄金の鞭>と呼んだりもするのだそうだ。
俺は夏が過ぎ、秋になる頃、いつも家の裏手の富雄川の堤防を黄色に染めて揺れているアワダチソウを眺めて、九州のことを思い出したものだ。
その兇暴なまでの生命力や、アレルギー犯人説などもあって、人々から嫌われるその渡来種の雑草も、俺には郷里の征士のことを偲ばせる懐かしい仲間だった。
新聞の企画で草木染をしたことがあった。
アワダチソウを使うと言った俺に、教えてくれた先生は呆れていたが、思ったより優しい、くすんだようなレモン色が出て驚いた。
色素の薄い、征士の髪の色のように、美しかった。
「もうすぐ当麻の町だ」
「この辺りの農家は立派なのだな」
白壁の土蔵や、塀をめぐらせた建物を見て、征士はびっくりしたような声を出した。
国道を折れて当麻寺の東門への道に差し掛かると、右手前方に駱駝の二つのこぶのような、なだらかな山の姿が見えてきた。
「あれが二上山」
と、俺は車を道路端に寄せて、征士に教えた。
「昔はフタカミヤマと言ったそうだ。万葉集にも出てくる有名な山なんだぜ。右が雄岳で、左のなだらかなこぶが雌岳。俺、この山を見るのが好きなんだ」
「ほう」
海抜五百数十メートルというその山容に、征士は少しがっかりしたらしく、
「当麻が前に手紙で書いていた二上山がこれか。大して高くない山なのだな」
「ああ」
俺はうなずいて、おだやかな初冬の空に浮かんだ二つの山頂を見つめた。
ある現代詩人はこの山のことを、女の眉のような、と表現していたものだ。
晴れた日に、こうして遠くから眺めている分には、しごく優しい女性的な姿に見えるのだが、本当はそれだけの山ではない。
二上山は不気味な山なのだ。
<妖しき二上山>と呼んだ人もいる。
葛城山と生駒山のちょうど接点のくぼみに隆起したこのトロイデ式火山の周辺は、天候が急変しやすい地形らしく、一瞬、一瞬とその様相が変化するのだ。
晴れているかと思えばたちまち時雨れ、みぞれが駆け抜けると風が起こり、山腹から吐き出すように濃霧が湧いたと見ると、すでに山頂は姿を隠してしまっている。
こうして車を停めて眺めている間にも、さっきまで晴れていた西の空に、低い雲が広がり、二上山の姿は急に険しい気配を漂わせはじめているのだ。
「大津皇子の墓があるというのは、あの高い方の雄岳なのだな」
と、征士が言った。
「そうだ」
俺は短く答えて車をスタートさせた。
なぜか今ここで、朝廷への謀反の罪を問われて死罪になった二十四歳の青年のことを話題にするのが、気が進まなかったのだ。
後半へ続く